病気をして得たこと。それは人の痛みがわずかでも理解できるようになったこと。
2016-10-29(Sat)
来年の今頃はどうしているかなあ??
生きてるかなあ?
もう、すでにこの世からいなくなっているのかなあ??
それとも、今と変わらない生活をしながら
このブログの記事を書いているだろうか??
などと、ふとそんなことを思うことがあります。

平均余命2年というような病気になってしまい
そんなことを思うようになりました。
と、同時に、そんな病気になってから得たこと。
それは、ひとの痛みを少しでも
わかるようになれたことではないかと思っています。
経験したことのない痛みを
理解できるはずありませんから。

考えてみれば
想像するだけで、
人の痛みを理解するなんて
私にできるはずないのです。

私は、先日、
バスに乗ろうとしていた女性が
足が不自由なため足が上がらず、
バスの入り口で乗れずに困っていたところを
思わずかけ寄って手を貸し
バスに乗るのを手伝っていました。
以前の自分なら、見ていても、
あれこれ思ってしまい、
すぐに動くことはなかったでしょう。
でも、今の自分は、
そのまま見ていることはできませんでした。
すぐさま、何も考えることなく
思わずそばに駆け寄って手を貸していました。
恥ずかしい話ですが、
以前の自分ではありえないことです。

私は今、病気をして少しは人の痛みが
わかるようになった気がしています。
それは、病気というマイナスの経験の
唯一、プラスなところだったと思っています。
なぜなら、人の痛みを理解できないなんて
そんな人間、つまらないですから。
つまらない人間のままで終わらなくて良かった
そう思っています。
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生きてるかなあ?
もう、すでにこの世からいなくなっているのかなあ??
それとも、今と変わらない生活をしながら
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などと、ふとそんなことを思うことがあります。

平均余命2年というような病気になってしまい
そんなことを思うようになりました。
と、同時に、そんな病気になってから得たこと。
それは、ひとの痛みを少しでも
わかるようになれたことではないかと思っています。
経験したことのない痛みを
理解できるはずありませんから。

考えてみれば
想像するだけで、
人の痛みを理解するなんて
私にできるはずないのです。

私は、先日、
バスに乗ろうとしていた女性が
足が不自由なため足が上がらず、
バスの入り口で乗れずに困っていたところを
思わずかけ寄って手を貸し
バスに乗るのを手伝っていました。
以前の自分なら、見ていても、
あれこれ思ってしまい、
すぐに動くことはなかったでしょう。
でも、今の自分は、
そのまま見ていることはできませんでした。
すぐさま、何も考えることなく
思わずそばに駆け寄って手を貸していました。
恥ずかしい話ですが、
以前の自分ではありえないことです。

私は今、病気をして少しは人の痛みが
わかるようになった気がしています。
それは、病気というマイナスの経験の
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