2008-07-02(Wed)
昨年も、自殺者が30000人以上。
「死んでしまおう」なんて考えたことがある人は、少なくないと思う。
僕もそのひとり。

それは、高校3年生、17歳の時。
理由は、失恋。
相手の男性とは、当時、販売されていた「薔薇族」の文通欄で知り合った。
お腹の出た37歳の中年男性。
海を見たいと言えば、海の見える温泉地へ連れて行ってくれた。
「何が食べたいか?」
と聞くので、
「夜景を見ながら、ステーキが食べたい」
と言えば、
100万ドルの神戸の夜景が見える六甲山頂の神戸牛ステーキ専門レストランへ連れて行ってくれた。
実の父親が、自宅には寄り付かないような、家族に愛情のない父親だったせいか、その男性に父親のような優しさを感じ、いつのまにか、誰よりも好きになり、心から慕うようになっていた。
でも、幸せな時間は、短かかった。
付き合い始めて、半年を過ぎたことから、会ってくれなくなった。
その男にとっては、単なる遊びにすぎなかったようだ。
でも、僕は、そのことに気づいても、既に、会いたくてたまらず、会えないことが辛くて堪えられなくなっていた。
それでも、どんなに恋焦がれても、もう決して会えることはなかった。
学校の授業の講義も、まったく耳に入らないほど、ほかの何もかもが、目に入らないほど、何をしていても辛く哀しくて、どうしようもなかった。
「死んでしまおう」
悲しみに耐えきれず、会えない苦しみから逃れる方法は、それしかないように思えた。
進学も諦めなければならないような経済状況だったこともあり、生きる意味は、もう、何もないように思えた。
睡眠薬一瓶を丸呑みした。
これで、死ぬと思った。

目を覚ますと、白い霧のような中にいた。
白い壁の病室のベッドの上だった。
1日半もの間、こん睡状態だったらしい。
白い霧のような中に、母の顔があった。
「お母ちゃんやで。わかるかあ?」
その言葉を聞いたとき、
「生きていて良かった。」と、心底から思った。
そして、生きていることに安心して、再び眠りに入っていった。
その時、「生きていて良かった。」と感じたこと、それが、自分の本音だと思った。
本当は、生きたいのだ。
生きている以上、本当は、生きたいのだ。

そんなことがあってから、今まで、
「何があっても死んだりしない。」
そう思って生きてきた。
うつ病になってしまった時も、このままでは、いつ、電車に飛び込んでもおかしくない、それほど、うつ状態になっていたときも、これではいけない、すぐ、治療しなければと、自ら、神経科の病院に行って、薬を飲み、治すことに専念した。
パートナーの協力もあって、うつ病は克服できた。
もし、高校時代の自殺未遂の経験がなかったら、おそらく、このとき、死んでいたろうと思う。
「死んではいけない。何があっても。」
人は、生きている限り、生きたいという本能を持っている。
余計な事を考える知能があるから、誰もが、その自然の感情を忘れてしまっている。
どんなに辛いことがあっても、死んではいけない。
誰もが、決して自殺はしないでほしいと思う。
---- to be continued ----
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「死んでしまおう」なんて考えたことがある人は、少なくないと思う。
僕もそのひとり。

それは、高校3年生、17歳の時。
理由は、失恋。
相手の男性とは、当時、販売されていた「薔薇族」の文通欄で知り合った。
お腹の出た37歳の中年男性。
海を見たいと言えば、海の見える温泉地へ連れて行ってくれた。
「何が食べたいか?」
と聞くので、
「夜景を見ながら、ステーキが食べたい」
と言えば、
100万ドルの神戸の夜景が見える六甲山頂の神戸牛ステーキ専門レストランへ連れて行ってくれた。
実の父親が、自宅には寄り付かないような、家族に愛情のない父親だったせいか、その男性に父親のような優しさを感じ、いつのまにか、誰よりも好きになり、心から慕うようになっていた。
でも、幸せな時間は、短かかった。
付き合い始めて、半年を過ぎたことから、会ってくれなくなった。
その男にとっては、単なる遊びにすぎなかったようだ。
でも、僕は、そのことに気づいても、既に、会いたくてたまらず、会えないことが辛くて堪えられなくなっていた。
それでも、どんなに恋焦がれても、もう決して会えることはなかった。
学校の授業の講義も、まったく耳に入らないほど、ほかの何もかもが、目に入らないほど、何をしていても辛く哀しくて、どうしようもなかった。
「死んでしまおう」
悲しみに耐えきれず、会えない苦しみから逃れる方法は、それしかないように思えた。
進学も諦めなければならないような経済状況だったこともあり、生きる意味は、もう、何もないように思えた。
睡眠薬一瓶を丸呑みした。
これで、死ぬと思った。

目を覚ますと、白い霧のような中にいた。
白い壁の病室のベッドの上だった。
1日半もの間、こん睡状態だったらしい。
白い霧のような中に、母の顔があった。
「お母ちゃんやで。わかるかあ?」
その言葉を聞いたとき、
「生きていて良かった。」と、心底から思った。
そして、生きていることに安心して、再び眠りに入っていった。
その時、「生きていて良かった。」と感じたこと、それが、自分の本音だと思った。
本当は、生きたいのだ。
生きている以上、本当は、生きたいのだ。

そんなことがあってから、今まで、
「何があっても死んだりしない。」
そう思って生きてきた。
うつ病になってしまった時も、このままでは、いつ、電車に飛び込んでもおかしくない、それほど、うつ状態になっていたときも、これではいけない、すぐ、治療しなければと、自ら、神経科の病院に行って、薬を飲み、治すことに専念した。
パートナーの協力もあって、うつ病は克服できた。
もし、高校時代の自殺未遂の経験がなかったら、おそらく、このとき、死んでいたろうと思う。
「死んではいけない。何があっても。」
人は、生きている限り、生きたいという本能を持っている。
余計な事を考える知能があるから、誰もが、その自然の感情を忘れてしまっている。
どんなに辛いことがあっても、死んではいけない。
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